make it count

日本で会社員→アメリカのボルチモアで駐在妻。思いつくまま備忘録。

2分の1成人式について

 2分の1成人式の話題について、わたしが考えたことを記録します。

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 この記事を拝見しました。わたしにとっては、おっしゃられている通り、行う意義がまったく理解できないイベントでした。

 先生という職業は本当に大変なようですね。もっと然るべきところに集中できる環境になったらいいのですが。。。

 

 誕生日は自分がもてなされるのではなく、自分が親に改めて感謝する日であるという考えには賛成します。わたし自身には子供がおりませんので、子育ての本当の苦労は、子育てをしている方々の意見をできる限りたくさん調べて想像することしか出来ません。

 それでもこのイベントの話は、子育てをする親たちの疲労や承認欲求が膨れ上がり、多様性に対する想像力が欠けてしまっている(あるいは考えることを放棄している)ことを示す例のひとつではないかなあと思います。

 

 

 わたしは、10代後半の反抗期の後に「迷惑かけてごめんなさい」といったような内容のことを親に手紙で伝えたことがあります。その時に親は、「子供を育てることは大変だけど、迷惑だと思ったことは今まで一度もない。自分が親にとって迷惑な存在だなんて絶対に思わないでほしい」と言い切りました。

 そもそも10歳児や自立する前の未成年を親が育てるのは、いくら大変であっても本来は当たり前のことです。その有り難みやお礼を、こういう場をわざわざ設けて子供に言わせたがるほど、親が疲れていたり飢えている世の中なのかなあと思ってしまいました。

 

 わたしは、周囲の好意に気付いて感謝できるほどの心の余裕は常に持っていたいと考えています。もちろん人間ですから多少の浮き沈みはありますが。また、いつ誰に何があるか分からないので、日頃感じた感謝の気持ちは、イベントに頼らず言いたくなった時に伝えることを意識しています。

 「孝行のしたい時分に親はなし」なんていう言葉もあります通り、親の偉大さや親もただひとりの人間であることを子供がリアルに実感できるようになるのは、もっと子供自身が自立し始まってからだと思います。10歳の子供が年相応に感じるような、例えば「いつもおいしいごはんをありがとう」といったような感謝の気持ちは、日常でも家族内のイベントでも、自分が伝えたいと思った時に自分から素直に伝えられるような子供に育てていきたいとわたしは思うのです。

 

 もし将来、自分に子供ができたとしても、こういったことは子供が自発的に考えてやってくれるからこそどんな形でも親として感動するのではないかなあと思っています。各家庭、個々の事情もあるのに学校のイベントで一斉にやるといったことは、わたしにとってはやはり理解できず、親・子供・先生どの立場にしてもまずやるべきことは他にもっとあると思ってしまうのです。